本郷散歩(2)

maluboh2007-05-11

昨日の続きで湯島から出発した。この日は快晴で絶好の散歩日和だった。


駅を出てまず旧岩崎邸に向かった。岩崎邸は三菱の創始者岩崎弥太郎の息子久弥の住んでいたところだ。戦後はGHQに接収され、その後国有化された。
本郷界隈―街道をゆく〈37〉 (朝日文芸文庫)」には手続きが必要だと書いてあったが、現在は入り口で入場料を払えば自由に見学できるようになっている。
建物は洋館と和館、ビリヤード場があり、周りは庭園になっている。観光客に混じり、絵を書いている人がたくさんいた。


岩崎邸を出て、北側に面した無縁坂に行った。森鴎外の「雁」に出てくる坂らしい。この坂を上り、路地を通って春日通へ出て湯島天神へ出た。
湯島天神の東側には「男坂」「女坂」と言われる坂がある。上野の方から来るとどちらからでも上れるようになっている。本で坂の名前を聞いた時には、なぜこんな名前を付けたのか分からなかったが坂にくるとその疑問が解けた。
男坂は斜面に対して直角に通されており、階段はとても急だった。しかし、女坂のほうは斜面に対して並行に通されており、階段も5段ごとくらいに踊り場のようなものがあって角度がゆるくなっていた。つまり、男坂は男のように体力のあるものが登る坂で女坂は体力のない女性が登る坂という意味で名づけられたのだった。


湯島天神を出た後、麟祥院へ向かった。ここは春日の局の墓があるお寺で結構有名なようだった。私が訪れた時も、年配の方の団体が訪れていた。
本では猫がたくさんいるとかいてあったので楽しみにしていたが、時間が悪かったのか司馬遼太郎が訪れて20年近くたっているからなのか全く猫はいなかった。


麟祥院を後にし、春日通を西へ向かった。真砂坂上の交差点まで進み北へ折れた。その突き当りが階段になっているのだが、その横が「はるのや」があった場所だ。かつてここに私が好きな正岡子規が住んでいたかと思うと感慨深かった。
通りの突き当たりの階段が炭団坂でそのいわれの元になった炭団が坂の途中に置いてあった。


炭団坂を降りると菊坂で途中に樋口一葉の旧宅があった。特に施設として保存されているわけではなく現在も誰か住んでいた。


菊坂を下りきった後、西片・白山の辺りを北に向かって進み、誠之小学校の辺りで旧白山通りへ出た。旧白山通りは中山道だったようである。この通りを南に抜け東大農学部正門前に出て南へ下った。


東大に正門から入り、三四郎池に向かった。
三四郎池は正式には「心字池」と言うらしく、ここが加賀藩邸であったころに庭の一部として作られたものらしい。さすがに100万石の藩の庭園らしく、学生の憩う場としてはとてもいい感じのところだった。
所々に学生が2、3人で話をしていたり一人でギターを弾いている人がいて、勝手な想像かもしれないが明治から連綿と続く伝統というか気風みたいな物を感じた。


ここであらかじめ考えていた行程は終わった。何度も同じ所を歩いたりしたけれど、町全体としての雰囲気を見たり感じたりすることが出来たと思う。
本郷の中心が東大という学術の場であるというのが本郷の下地になっているのだなぁというのが感想である。


東大を出た後お腹がすいたので、本郷3丁目の交差点を西に向かって少し言った所にある「Fire House」というハンバーガー屋へ行った。
お昼時に前を通った時は何人も並んでいたが、2時半ごろに着いたときにはすんなり入れた。若干高めの値段ではあるがとても美味しかった。

本郷界隈―街道をゆく〈37〉 (朝日文芸文庫)

本郷界隈―街道をゆく〈37〉 (朝日文芸文庫)